40歳を目前にして、私の服の好みは昔とかなり変わってきました。それは、「好きなもの・着たい服」が加齢とともに似合わなくなってきたり、無理が生じてきたためでした。好きなだけじゃ着られない若すぎるデザイン、着たいけど顔と合わないデザイン、まさに洋服選びに迷走し始める年齢にさしかかってきたのです。
そんなある日、暑い夏の日にもかかわらず、姿勢を正し涼しげに着物を着こなす50代の女性と出会い、和服の魅力を再確認したのです。
形はほとんど同じなのに、帯や小物によって個性が出せたり、柄によって着る年代を選ぶ衣類、それが着物です。スタイルの善し悪しに関係なく、日本女性を素敵に見せる最終兵器なのではないでしょうか。
洋服にはなくて着物にはあるもの、それはある程度の形式があるという点ではないでしょうか。七五三に子どもが着る着物、夏祭りに着る浴衣、卒業式で着る袴、成人式で着る振り袖、結婚式の白無垢、そして喪服や留め袖・訪問着など、着るシーンを選ぶのが着物の面白さです。
「この場面ではこの着物を着る」というその時々のドレスコードのようなものが定義としてあり、そこに個人の個性をプラスしていくことに面白さがあるのではないでしょうか。
すべてが自由である洋服にはない、「不自由な定義づけに垣間見える美しさの演出」こそが、着物や和装の持つ魅力であると思います。
私自身の着物の思い出は、残念ながらそんなに晴れやかな記憶ではありません。
七五三の着物やお祭りで着る浴衣は姉のお下がりであったし、卒業式は就職活動と重なり袴ではなくスーツで出席しました。成人式は「写真撮影のための着物にお金を払うくらいなら、そのお金で海外にでも行って見聞を広めてきなさい。」という母の言葉とともに、ドイツに滞在していて出席しませんでした。結婚式も教会での挙式のため、ウェディングドレスでした。喪服も今のところ幸いなことに、着たことはありません。
しかし私が嬉しさいっぱいで着物を着ていた数少ない記憶・・・一つは、高校の文化祭で茶道部としてお手前を披露したときに着たピンクの着物でした。もう一つは、友人の結婚式で着た、母が選んでくれた振り袖です。「自分のためだけに用意してくれた」特別感と、着物の持つ「いつもとは違った緊張感」に、ドキドキしていたことを今でもよく覚えています。
この先、着物を着る機会がどれほどあるかはわかりません。しかし、その時に自信を持って着こなせるよう、日頃からの自分の生き方を正していきたいなと思います。